東京高等裁判所 昭和52年(う)718号 判決
被告人 今井末千代
〔抄 録〕
原判決挙示の関係証拠によれば、前記焼失した気田保育所は、夜間人の現在しない建物で、出火の前日である三月一五日は、午後五時二〇分ころ職員全員が戸締りをして帰宅しており、その後出火までに約九時間を経過していること、同日は午後から職員室、保育室において石油ストーブを使用しておらず(なお、司法警察員作成の実況見分調書によれば、焼け跡から発見された石油ストーブ二台の芯はいずれも消火の状態にあったことが認められる。)、職員の中で喫煙する者はいなかったこと、同保育所屋内の電気系統の配線については、毎年一回点検をうけており、出火前に配線の修理をうけたことはなかったことが認められ、これらの点から考えると、右保育所の焼失は、何人かの放火による犯行と認めるのが相当であるが、右罪体と被告人とを結びつける証拠は、被告人の自白(前記録音供述を含む)のみであることは所論のとおりであるから、以下において右被告人の自白、特に司法警察員に対する自白を内容とする供述調書の信憑性について検討する。
1 被告人は、録音供述において、「職員室の出入口のガラスを石で割り、ねじで締める鍵を外して内に入った。」旨供述していたが、昭和五一年一一月五日司法警察員の取調に際し、「ガラスを割ったところから中に手を入れると、高さ一メートル位のところに、ねじ式の鍵があった。この鍵は、途中で折れ曲る式のものだった」旨供述するに至ったものであるところ、右供述後に作成された勝田敬子の司法警察員に対する同年一一月九日付供述調書によれば、焼失前の気田保育所の職員室南側出入口は、ガラス戸四枚からなり、西側の二枚は外側から施錠するが、東側二枚は内側から施錠するねじ締め式のもので、この鍵はねじ棒が途中から折れ曲る式のものであったことが認められる。
2 被告人は、同五一年一一月八日司法警察員の取調に際し、「火のついた紙棒(紙をねじって長くしたもの)の明りで職員室の机の引き出しの中を見て歩いた。奥の、入口の方に向いて置かれてあった机の引き出しの中から、布製の収集袋に入ったお金と、茶封筒に入ったお金を盗んだ。どの引き出しか覚えていないが、資生堂と名前が入ったメモ帳などがあったのを覚えている。」旨供述しているところ、右供述後に作成された前嶋のぶ江の同年一一月一〇日付司法警察員に対する供述調書、川坂由記江の同年一一月一二日付司法警察員に対する供述調書によれば、焼失前の気田保育所の職員室内の奥に、当時出入口に向って前嶋(旧姓柳沢)のぶ江、川坂由記江の使用していた机二個が並べて置かれており、その引き出しの中に、いずれも茶封筒に入った前嶋のぶ江保管の現金約三、七五〇円位、川坂由記江保管の現金約三、一五〇円位および約一、六〇〇円位が入れてあったこと、右現金はほとんどが一〇〇円、五〇円、一〇円の硬貨であったこと、前嶋のぶ江保管の茶封筒入り現金は、縦約一八センチメートル、横約一二センチメートルで、上に白いひもがついており、集金袋とマジックで書いてある布袋に入れてあったこと、右両名の机の引き出し内に、縦横とも約六センチメートルの、白表紙に資生堂と書いてあるメモ帳各一冊が入っていたことが認められる。
3 被告人は、前記のとおり、録音供述において、「職員室を出るとき、天井の方からビーという火災報知機のベルの鳴る音を聞いた。」旨供述しているところ、右供述後に作成された勝田敬子の同五一年一一月九日付司法警察員に対する供述調書、当審において取調べた近藤茂の同年一一月一一日付司法警察員に対する供述調書によれば、焼失前の気田保育所の各部屋の天井裏と天井板に、火災報知機である差動式スポット型感知器合計二〇個がとりつけられ、一分間に一五度の温度差が生じた場合に差動し、ジーというブザーのような警告音を発する仕組みとなっていたことが認められる。
4 被告人は、前記のとおり、録音供述において、「オートバイに乗って帰る途中、笠井街道に入ってエンストして止った。その時、牛乳屋のおばさんが来たので、牛乳一本もらうつもりで一〇〇円出したら、釣銭がないといって、牛乳を二本くれたのを飲んで、七時ころ会社の寮に帰った。」旨供述しているところ、右供述後に作成された野本信子の同五一年一二月一〇日付司法警察員に対する供述調書によれば、同女は、「今年の三月中旬ころの午前五時少し前ころ、私はホンダのスーパーカブで牛乳の配達をしていた。私の家から笠井街道を北に一〇〇メートル位行った大城寛さんの家の前まで来たとき、オートバイに乗った年齢二〇歳前後の小柄でやせた男が止っており、私に牛乳を売ってくれといって一〇〇円玉を一個出したので、私がお釣りがないというと、男の人はオートバイに乗ったまま、股の下側あたりから、昔のきんちゃく財布のような布製の袋を取り出し、小銭をひと握り位見せた。一〇〇円とか一〇円などの小銭が袋の中にも相当量入っていたので、私は、この男の人は若いのに、さい銭泥棒でもして来たのかも知れない、おかしな男の人だと思った。その男は、その場で牛乳を一本か二本飲み、空びんを私に返して、オートバイで浜松市の方に走って行った。浜松市のナンバーの小型のオートバイだった。」旨、被告人の右録音供述と符合する供述をしている。
以上のとおり、被告人の自白供述に符合する客観的事実が認められるのであるが、当審証人紅林和吉の証言によれば、被告人の自白に符合する右の各事実は、被告人が当該事実を自供した各段階において、捜査官において事前に知り得なかった事実であり(特に本件被害建物は、捜査開始当時既に全焼しており、出火場所、出火原因等については明確でなかったことは前記のとおりであり、況んや職員室内で盗難の被害があったことについては全く予想できない状況にあったのであって、記録を調査しても、捜査官において、事前に職員室、出入口の施錠の状況、火災報知機の有無、状況等について詳細な捜査をとげていた形跡は全く窺うことはできず、また、捜査官において、事前に焼失した机の引き出しの内容物について探知していたとは到底考えることはできない。)かえって被告人の先行的自白に基づいて、捜査官において捜査した結果、右各自供に符合する事実を探知し得たものであること、特に1ないし3の各事実は、本件建造物侵入、窃盗、放火の犯入でなければ知り得ないと思われる事実であること(なお、被告人は、当審公判廷において、警察で取調べられた際、保育所の出入口にカーテンがかかっていたとか、屋内に流しがあり、やかんがあったなどと供述したのは、以前に気田の幼稚園に二回位行ったことがあり、その時、出入口のガラス戸から屋内をのぞいて見たことがあるので、その時の印象に基づいて供述したものである旨弁解しているのであるが、近藤茂、勝田敬子、前嶋のぶ江、川坂由記子の司法警察員に対する前記各供述調書によれば、前記1ないし3の各事実は、前記気田保育所を外部からのぞき見をしただけでは到底知り得ない事実であることは明白である。)、また、4の事実については、被告人の自白に基づいて、捜査官において、笠井街道沿いの牛乳配達人を一斉に捜査した結果、前記のとおり牛乳販売業野本信子が被告人の自白とほぼ符合する日時、場所で、被告人と推定できるオートバイ乗りの男に牛乳を売った事実があることを探知し得たものであること(なお、被告人は、当審公判廷において「本件の三、四日前にオートバイに乗って気田に行ったことがあり、その際、帰り路で、牛乳屋のおばさんと会い、牛乳二本を買って飲んだことを覚えていたので、捜査官にはその時のことを話したのである。」旨供述するので、さらにこの点について検討を加えると、成程前記野本信子の供述によると、被告人らしいオートバイ乗りの男に牛乳を売ったのは、昭和五一年三月中旬というのであって、本件気田保育所が焼失した当日であったとまでは断定できないのであるが、同女の供述によれば、被告人が昔のきんちゃく財布のような布製の袋の中から小銭をとり出して見せた旨供述していること、被告人は、本件犯行を認めていた原審公判廷において、盗んだ金の入っていた布袋の大きさについて縦二〇センチメートル、横一八センチメートルの大きさで、長方形であったと思う旨供述しており、前記前嶋のぶ江が、焼失した気田保育所職員室内の自己の机の中に保管していた小銭の入った布袋の大きさと類似していること、当審における事実取調の結果によれば、被告人が本件当時布袋の財布を持ち歩いていた形跡は窺えないこと等を合わせ考えると、被告人が本件犯行後の帰り路に野本信子に出会い牛乳を買った旨の自白は真実に合致するものと認めるのが相当であって、右認定に反する被告人の当審公判廷における前記供述は措信することはできない。)、以上の事実を認めることができ、被告人の自白に符合する前記各事実は、優に右自白が真実に合致し、措信することができる有力な証拠であると認めることができ、被告人の録音供述を含む捜査官に対する各供述調書および原審公判廷における供述に一貫してみられる本件各犯行を自白した供述は、捜査の端緒、自白の動機、自白をした際の状況、供述内容、被告人取調の状況等について、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて仔細に検討してみても、その信用性に欠けるところがあるとは考えられない。
(綿引 石橋 藤野)